薬狩り(くすりがり):本田あきこ メールマガジン 2018年6月号
大阪北部地震により被災された皆様にお見舞い申し上げます。
その時、私は滋賀県にお邪魔しており、熊本地震の記憶が蘇り、避難所への薬の提供に携わったことを思い出しました。
薬が人の生活にとって大変重要なものであることは今も昔も変わらないようです。
私は先日、奈良県を訪問した際、くすりの歴史を知る機会がありました。
奈良県製薬協同組合に置かれていた様々なパンフレットの中から、「奈良のくすり」というパンフレットにすっと手が伸びました。
見慣れた絵が表紙だったからです。
読んでみると、
女帝である推古天皇が即位した際、それまでの獣狩りの武技よりは、中国の風習にならって、代わりに薬狩りをするように皇太子が進言し、聞き入れられ行われるようになったとのことでした。
更に、推古19年(611年)5月の端午の節句の日に、狩りの装束をまとい、野や山にでかけて薬草を採取しているさま(薬狩り)をモチーフにして、昭和18年に壁画が作成されたことなどが書かれていました。(後に調べたところ、この記述は「日本書紀」が初出ということが判りました。)
そして、この壁画の所蔵場所が星薬科大学だったのです!大学時代毎日見ていた日常の風景でした。
前述で見慣れた絵と書いた理由がここにありました。
導かれるように伸ばした手の先から知るくすりの歴史に私は感激してしまいました。
しかし、恥ずかしいことに私は、「薬狩り」という言葉をこの時まで聞いたことがありませんでした。
パンフレットには、その他にも、
むかしは、薬は大変高価で庶民には手が届きにくいものだったので、自分の健康を自分自身で維持するために、身近な薬草やその他の天然物を利用しようとして、様々な知識・経験が蓄積され、こうして利用された薬草が民間薬となっていった歴史が綴られていました。
今様に言えば「セルフメディケーション」でしょうか。
こうした民間薬の普及に貢献された立役者が女性の推古天皇だったことにも驚きました。
医師や薬剤師がいない時代、家庭を守り、家族の生命を守るという女性の役目が大きかったことを示すものではないでしょうか。
女性が主役たらん運命が今巡りきたようにも感じました。
大和からはじまる薬の歴史を学べたことに感謝するばかりです。
私は、この国を薬の適正使用がすみずみまで行き届いた社会にしたいと思っており、薬の専門家ならではの政策提言ができるよう全国訪問を続けながら、更に見聞を広げ知識を深め、研鑽を続けてまいりたいと思います。
参考:(興味深い内容ばかりなので是非お読みください)
奈良県製薬協同組合(奈良とくすりの古い関係)
http://www.nara-seiyaku.or.jp/kumiai/kankei/index.html
星薬科大學報 第73号 13ページ
http://www.hoshi.ac.jp/site/seikatsu/pdf/no73.pdf
宇陀市による公式サイト「うだ記紀・万葉」
https://www.city.uda.nara.jp/udakikimanyou/yukari/dekigoto/suikotennou.html
科学散歩 いにしえの心(国立研究開発法人 科学技術振興機構)
http://sciencewindow.jst.go.jp/html/sw26/sr-stroll